toruのブログ

聖なるあきらめ

一人の食事

私が小学校3年生くらいの時に、寝台列車に乗り、九州の別府に家族で遠縁のおじいさんを訪ねた事があります。


おばあさんが、長患いをしていてお見舞いがてら出掛けた記憶があります。

お身内のいないおじいさんでしたが、お家は広く家族で泊まりました。

お夕飯の時に、おじいさんが何度も何度も

「みんなで食べるとおいしいねぇ」を繰り返していました。


その時は、「たまに静かにテレビでも見ながら、私は一人で食べたいけどな。」と思いました。子育てしているときも「あ~落ち着いて一人でゆっくり食べた~い❗」と何度も思いました。


今、本当に一人で食事をする度「みんなで食べたいな」と思います。

人って、やはり我が儘で無い物ねだりなのだと思います。

息子たちのお弁当を作っていた時は、「早く解放されたい」と思いました。

でも、そう思う時が「見えていない幸せ」なのでしょう。今は、「もう少し、手の込んだお弁当を誰かに作ってあげたい」のです。


もし、このブログを読んでくださっている方で、平凡で退屈な毎日に飽きを感じていたら

「見えない幸せ」をかみしめてくださいね。

狭い門を選べ

以前、乳腺に腫瘍が出来て手術をしました。

もう12年ほど前の事です。

それが、他人に知れたとたん宗教の勧誘が、

しつこく現れました。

以来、私の中で「宗教は人の弱味につけこむ人たち」という位置付けができました。


だから、息子の死も人にほとんど伝えていません。

言い方は悪いけど、カモにされたくないからです。


ただ、キリスト教の「狭い門からはいれ。

滅びにいたる門は大きく、その道は広い。

そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そしてそれを見いだす者が少ない」という言葉は好きです。


私達は、人生において選択を余儀なくされる事が多々あります。

そんな時、大変な方を選ぶ事は勇気がいります。


弱虫でビビりの私は、なかなかできません。

だからこそ、こういう生き方ができたらなと思います。

亡くなった息子に「見ていてね」と言っています。

ただ偉そうに言っていても、安きに流れてはメソメソする毎日です。

100円ショップ

私は100円ショップが好きです。

意外なアイディア商品があったり、バリエーションも多く、見ているだけで楽しめます。

 

この時期、私のおすすめは正月の「お飾り」です。さすがに、300円から500円商品が多いですが 100円の物も、遜色ないですよ。


今年は、喪中だから関係ないけど。


来年のカレンダーや生活用品をセリアで買いました。

やはり、鬼門はクリスマスコーナー。

うっかり立ち止まって見てしまいました。


夫や子供たちと過ごした20余年のクリスマスがよみがえり、泣くのをこらえました。

サンタを信じて、眠い目をこすりながら起きていた小さな次男。

夫と子供が寝た後、おしゃべりしながら

ワインやお菓子を食べた夜。


私の人生のよい思い出になるはずだった

ひとこま、ひとこまが今、私をつらくさせています。また、そう思う自分も嫌いです。


フランクルは「人間が人生を問う前に、人生が人間に問いかけている」と言っていますが、

何を問いかけたいのか、わからないまま月日が過ぎていきます。