分かっていないのは自分(下)
元義父が無神経な人なのに、身内は誰も気づかなかった話は先日しました。
近いからこそ見えない、見つけられないという事を知った時に「私は、いつでも客観的に人でも物でも見られる人になりたい」と強く願いました。
子どもの欠点も弱点も見つめた上で判断を下せる親であろうとしました。
次男は、自閉的な傾向が強かったし
自分の世界を壊されるのが嫌いなタイプ。社会に出ても営業などは無理だと思っていたし、ある程度個人プレーが許される外資系の企業などはどうだろうか?などと私の中では考えていました。
「ベンチャーを立ち上げる」と言った時に「やっぱりな」と思いました。私はやはり「次男の事を冷静に見て分かっている」と。
だから、彼が失踪して警察に捜索願を出しにいった時には「彼の死」を全く予期していませんでした。
警察の担当の方が「お母さん、自殺の恐れはありますか?もしそうなら、緊急性を要します」と言ってくれましたが
私は即答しました。「それはないです。あんな怖がりの子が自分で死ぬ事はありません。命の大切さも分かっていますので」と。
次男を失って「自分こそ、何にも分かっていなかった。自分が一番見えていなかった」という事が私を一番苦しめます。
不良でもなかった、むしろ優秀な部類だった、怖がりで慎重派で、でもかわいい大事な大事な次男でした。
梅の花を見ると失踪した年に祈るようの気持ちで「帰っておいで」と花を見つめた自分を思い出します。
そして、分かってあげられなかった自分を反省します。