まちこの部屋

聖なるあきらめ

こんな国にしてしまった責任

私が学生の時に入っていた看護学校の寮は「明日路寮」という名前でした。

女子寮だったので、舎監さんは警察のOBの方でした。結構厳しいおじいさんでした。

その方に酸っぱく言われたのは「寮の名前は言わない。学生寮と言いなさい。働き口がなくなるぞ」という事でした。

聞くところによると、昭和30年代辺りの激しい学生運動の時に、この寮名を使っていて「社会的に見て、よいイメージじゃないから」だそうです。

私の中にも学生運動=過激な連中=勉強もしないで政治に首突っ込むろくでなし という図式が出来上がっていました。

だから、政治の話をする人にアレルギーがあったし、リベラルな考えを持っていても口にしませんでした。

しかし、最近の日本の政治の腐敗っぷりを見ると私達の世代がこんな日本にしてしまった気がしてならないのです。デモやストは決して、恐ろしいものではないのに、そう思って何もしないうちに日本は貧困への道まっしぐらに進んでいます。

亡くなった次男や若い人が未来に希望を持てないでいる。

最近、とみにその事を思うと「若い人、ごめんね」って思います。

スマホがないと不便になってしまった

私は、そもそも携帯電話が嫌いです。

何故なら「人は無断で音信不通になる権利がある」と思っているからです。

今は待ち合わせにも「来るかな?大丈夫かな?」と思う事もなくなりました。

いつでもスマホで連絡を取れるからです。

スマホの普及により、会いたくない人、付き合いたくない人に居留守を使う事すらできなくなりました。

で、スマホに利用されないよう、毒されないように気をつけていました。

が、先日メールの下書きをしていたらいきなり、スマホがシャットダウンしてアプリが全く使用できなくなりました。

スマホの基盤が壊れたのでしょう。

もう6年も使用しているから、「壊れたら壊れたでその時」と思っていましたが、いざ壊れたらかなりショックを受けました。

そんな自分にも二重にショックを受けました。

たまたま休みだったから、買い替えました。

更に自分が歳取った時の世の中は、どうなっているんだろう?

その時は、その時でしょうが、すっかり文明に毒されている自分に驚いた一日でした。

福田村事件鑑賞③

最後に映画館での事を書きます。

この映画は、ミニシアター系でしかやっておらず、私の行った映画館は自由席。

私は最後尾の席の真ん中に座りました。

昔ながらの映画館で、私の後ろは通路になっていて、金属のバーがある感じ。

映画が始まり、予告編のあたりでいきなりどこからか、お年寄りの男性が現れて私の真後ろの金属のバーにもたれかかって立っていました。

多分、自分の席よりこの位置の方が見やすいからでしょう。

しかし、私の頭部分に体が触れるぐらい近くで鼻息荒く立っていられるのが、(しかも、ノーマスク)かなり不快でした。

いくつか予告編になっても動く様子がないので「こいつ、ずっといるつもりだな」と思ったので「すみませんが、真後ろに立たれていて嫌です。座席に座って鑑賞して下さい。席開いているでしょう?」と振り返って言いました。

聞こえないふりしていましたが、本編をこんなジジイに邪魔されたくないので繰り返しました。そして、自分の席に着きました。


山田洋次監督が先日「席を蹴るなとか、しゃべるなとか、映画の前に禁止事項が多すぎる。好き放題にさせたら」とコメントして賛否両論でました。

昔の立ち見OKで、一度入れば1日いられる昭和の映画館は、そういう感じでした。

不寛容な時代だとは思います。

もっと自由な雰囲気で映画を楽しんでという意図はわかります。

が、現在映画は一回2000円くらいする贅沢品なわけです。

お金を払っている云々ではありませんが、せっかく観に来て静かに楽しみたい人もいるはずで、やはり快適にその時間過ごしたい人はいるのです。

私は大きいスクリーンで観るのが楽しみなので、やはりルールは守ってほしいし、自分も守りたいです。

特に昭和感覚のお年寄りの方、気をつけていただきたいです。