toruのブログ

聖なるあきらめ

もしも、彼だったら?(もう一人)

私が「もしも、彼だったら?」と思う人が、もう一人います。
それは、息子を迎えに行った警察の捜査員のYさんです。


亡くなった場所が、自然豊かな田舎の僻地だったし、車の免許を持っていない私は、何回も電車を乗り継ぎ現地に向かいました。


署内で、説明を受け遺品を見せてくれる時も、大事そうに両手の手のひらにのせて一つ一つ、丁寧に説明して下さいました。


しかも、ご本人は「たまたま当直だから」と言って、棺を出す時にも
翌日いて下さいましたが、たまたまではなく「担当した案件だから最後まで」当直を代わってくれたようです。


また、葬儀屋さんにも「県外の方だから、帰りのタクシーも予約してあげて。でも、この事は私が言ったと言わないで。気を使わせたくないから」(結局、葬儀屋さんはばらしてしまいましたが)


また、最後に「酷なようですが、ずっと失踪して何年も見つからず、心配をし続けているご家族も、たくさんいらっしゃいます。お母さんの元に戻れて本当によかった」と声を詰まらせて慰めて下さいました。


自分は仕事でも、話の通じない患者さんに「ですからぁ~」と、きつい物言いをする事があります。


Yさんと出会ってから、患者さんと接する時に「もしも、彼だったら?」と考えるようになりました。

もしも彼だったら?

先日、持病のシェーグレン症候群の検査に行くためバスを待っていました。 
交通渋滞により、遅れる事はよくあります。が、渋滞でもないのに10分たっても15分たってもバスは来ず....。


バス停の皆さんも私もだんだん
イライラしてきました。
電車のように放送はありませんし。


その時、ふいに亡くなった次男の事を思ったのです。


「あの子だったら、どうするだろう?」


彼は、決してイライラしない子でした。彼が激昂するところなんて見た事ないし、「ムカつく」など言わない子でした。(だからこそ、いろいろな事を胸に秘め自死したのかもしれませんが)


以前の私だったらバス停の連絡先に電話して「全然バス来ないんですけど!どうなってます?」と金切り声をあげていたと思います。


でも、この時に息子だったら「健康のために歩きな。怒っちゃダメだよ」という気がしたのです。


こういう感覚は初めてです。
結局、歩きました。
息子と歩いているような気持ちになりました。


嫌な事があったら「彼ならどうするだろう?」と心を整えてみようと
思えた日でした。

「感情労働と曼陀羅塗り絵」

息子が亡くなっても、生きていかなければならないので、仕事は続けなければなりません。


私の仕事は、看護師なので「命の大切さを伝える」という面もあります。

それなのに、息子が自死してしまいました。

亡くしたつらさに加え、その事が私をより一層苦しめています。


また、仕事柄「感情労働」であるため非常に

仕事をしていてきついのです。

仕事中は、心にストッパーをして何とかしのいでいます。また、若いスタッフに心配させたくないので耐えている面も多々あります。


タイムカードを押して帰宅するときは、

涙ぐんで帰っています。


仕事でも、検査データを貼るとかガーゼをたたむなどの単調な作業は少し救われる気がしています。


無理に気持ちを立て直そうとは思いませんが、「和らげるために何かないだろうか?」と考えついたのがアートセラピーです。


以前、購入してやっていなかった「曼陀羅塗り絵」をやりはじめました。

若干(本当に若干です)少し心が落ち着くような....。


こうして少しずつ一人で歩けるような事を見つけていけたらと思います。