まちこの部屋

聖なるあきらめ

相次ぐ自殺(1)

自死遺族として「自殺」という言葉が生々しくて、あまり使いたくない気持ちの時がありました。今でもそうです。

また、この文字を見るとザワザワとした気持ちになる自分がいます。

しかし、あえてこの言葉を今日は使います。

夏の終わりに三浦春馬さんが亡くなられました。

そして、芦名星さん、

先日は藤木孝さんと続きました。

若い方の自殺も嫌でしたが、私はことにこの藤木さんの自殺がこたえました。

何故なら、若い人の自殺は悩んでいたとは思いますが「えい、やっ!」的な感じと視野が狭くなって「死ぬしかない」と考えてやってしまう面があると思えるからです。

藤木さんの80歳での自殺は、少し違う気がします。

80歳まで生きていると、それなりに人の死に遭遇しているでしょうし、自殺する事の影響も知っている事でしょう。

でも、あえて実行した。

分かっていても死を選んだお気持ちを考えると、やはり「なぜ?」と思います。

私は、FBもやっているのですが、お友達(というには厚かまし過ぎるんですが)の作家の高橋克彦さんが藤木さんとの初対面の事を書かれていました。

高橋さんは、藤木さんがロカビリー歌手の頃からのファンで、初対談の時に嬉しくなってレコードを全部持っていかれたそうです。

開口一番に「ずっとファンなんですよ」とレコードを見せたら「ロカビリー歌手の過去は私にとって忘れたい事だから、レコードも見たくないし、その話もしたくないから❗」とムッとされてしまったそうです。

私はこの下りを見て「藤木さんは完璧な人生を生きたかったんだ」と思いました。

長くなるので続きは次回に..。

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