まちこの部屋

聖なるあきらめ

Y君

私の中学校の同級生にY 君という男子がいました。

非常に勉強のできる人で、リーダーシップもあり、スポーツもできて、性格もよく(ハンサムではなかったけど)非のうちどころのない人でした。

行動も大人びていて、高校生になった時に私の母と道で、会った時に「こんにちは、まちこさんお元気ですか?よろしくお伝え下さい」と言ったそうです。

母が「本当にしっかりしてるわ」と褒めていて、私も「多分逆に、Y君のお母さんに会っても『こんにちは』というのが精一杯だな」と思いました。

彼は優秀なまま、京大に進学しました。

しかし、大学3年の時に自死しました。

私は、お葬式などに行かれる時ではなく(もう働いていて 恐らく休めなかった)母は、Y 君のお母さんと知り合いだったので参列しました。

Y 君の家は敬虔なクリスチャンで、教会でのお葬式だったそうです。

何度かお母さんにお会いした事がありますが、雰囲気などは違いますが、しっかりと話す人で黒柳徹子さんみたいな方。

Y君も、中学校の頃から慈善事業みたいのをご両親とされていて、温厚で気持ちのいいご家族です。

葬儀の後、母が「私はああいう風に立派でいられないわ。お声をかけたら『いいの、仕方ない事です』としゃんとしていたのよ。私は無理よ」と言っていました。

私はその時には「宗教を持ってると違うのかな?」と思いました。

でも自死遺族になって思います。

あまりの衝撃で、涙も出ないし、実感がなかったんだろうと。

Y君の事も自慢の息子だったろうと思いますし、期待もしていた事でしょう。

悲しみの表しかたは、人それぞれで泣き叫ぶ人もいるし、呆然とする人、しっかりしなければと考える人...いろいろです。

わざわざノコノコ行って、今さら聞けないけどY 君のお母さんと話してみたい気持ちです。

今なら、「こんにちは」だけではなく、もう少しまともな口がきけそうな気がします。そして、京都の地で亡くなったY 君が何に絶望したのか分かりませんが、ただただかわいそうで悲しい気持ちでいっぱいになるのです。

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