まちこの部屋

聖なるあきらめ

望んでいたもの

今は気ままな一人暮らしです。

誰かのためにご飯を作る事もありません。

だから、かなり量を少なめにして作っても余ってしまい、いつまでも食べ続けなければなりません。

それが嫌なので、気分転換に時々一人で外食します。

次男との思い出の場所には行けないんですが、新しいお店には比較的一人でも行けます。

ただコロナ禍ですし、暑いし、1日一人で過ごす日が増えました。

先日、本も読み飽きてテレビも見たくなくて自分でつくづく単調な休みに疲れてしまい、「あ~あ、つまんない‼️」と感じたのです。

でも、その後ですぐに「これは、私が本当に欲しかったものなんだ」とも思いました。

元夫が転職する度「どうして普通に会社勤めができないんだろう?」と思いました。

引きこもりになった時も「これは私がしなくていい苦労なんじゃないか?」と思いました。

次男が失踪した時も「何でいなくなったんだ?普通に大学に行っていればいいじゃないか!」と思いました。

次男が亡くなった時も「何が悪いというんだ。私は普通に退屈な毎日を過ごしたいだけなのに!」と思いました。

あの時の気持ちを思うと、今はかなり「幸せ」なはずなんです。

つくづく人は欲深くできていて、わがままであると思います。次男がいないのは悲しいけれど、退屈な毎日こそ幸せ。

コロナ禍や災害で、大切な人を亡くした方が今もどこかで泣いているのです。

今、退屈を生きている事に感謝したいと思います。

×

非ログインユーザーとして返信する