まちこの部屋

聖なるあきらめ

活動できる親

自死遺族の会の運営の方々には、必ず自らも自死遺族である方が数名います。

また犯罪被害者の会とかで、社会的に活動されている方を見る度に「偉いな、立派だな」と思います。

そして、すぐに「自分ってダメだな」と思うのです。

最初は、そういう活動をしている人に対して「きっと経済的に余裕があるんだな。パートを二つ掛け持ちしないと生活できない私とは違うんだな。ちゃんと旦那さんもいて、介護しなきゃならない人もいなくて、自分が働かなくてもボランティアやれるんだもの。私とは違うよな」と思っていました。

でも、私にお金があって、理解ある旦那さんがいて、道楽だけできる余裕があったら...それでも多分やっていないと思います。

きっと、人のためになりたい人はそういう垣根を乗り越えてもやるのでしょう。

私の悪いところは、ここだと思います。

「人の役に立てるような活動をしている人」→えらい

「何もやれずに生活で手一杯で、何にもやれずにいる自分」→ダメ

要は、常に自分と誰かを比べて自分の自己肯定感を下げているのです。

カレー沢薫という漫画家、コラムニストの人が大好きなんですが、その方が書いている文章にハッとしました。

「他人と比べて凹む人は、自分にそこそこ能力があり、恵まれた立場にあっても常に『自分より上』に目が行ってしまい、自己肯定感は一向に上がらず、劣等感だけがウナギ登りになっていく。自分がトップになったとしても『貧しくても幸せな家庭を築いている奴』など、別ベクトルで自分と他人を比べだす。つまり『比べる事がムダ』と早く気づけよ。これだけ自力ではどうにもならない事が多い世の中において、自己で上げ下げができるものなど自分の部屋のエアコンぐらいのものだ」と書かれていました。

だよね。

落ち込むのやめよう。

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