まちこの部屋

聖なるあきらめ

思い出を語れないのが悲しいんだ

先日、LINEで長男から「昔、USJに行った時にガイドツアー頼んだよね?あれ、高かった?」と聞かれました。

私と長男と次男の3人で、USJに行った事があります。

何故、夫が行かなかったかというと「くだらないから行きたくない。俺が行かなければ、一人分浮くし、その分使えばいいし、ウィンウィンじゃん」と言ったからでした。

当時も頭に来ましたが、今書いていても腹が立ちます。

まあ、いいや。

と言う事で浮いたお金でガイドツアーを頼んだのです。確か、優先的に並ばずに3つ位乗らせてくれた気がします。

私はUSJより、ジンベイザメが見られた海遊館という水族館の方が記憶に残っていて、長男とひとしきり思い出話をしました。

その後、ふと思ったのですが誰かを亡くすという事は「一緒に思い出を話す事ができなくなるのが悲しいんだな」と思いました。

いつも思い出話をしたいわけではないです。が、ふとした瞬間や機会に話せなくなるという寂しさを味わうのが人を亡くすという事だと改めて思いました。

人は思い出があるから生きていけると思います。

次男との思い出は、もう増える事がない、それがつらいです。

もしかして生きていたら次男と不仲になっていたかもしれない、いい関係ではなかったかもしれない、それでも生きていてほしかったなと命日が近づく度に思います。

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