まちこの部屋

聖なるあきらめ

もしも彼だったら?

先日、持病のシェーグレン症候群の検査に行くためバスを待っていました。 
交通渋滞により、遅れる事はよくあります。が、渋滞でもないのに10分たっても15分たってもバスは来ず....。


バス停の皆さんも私もだんだん
イライラしてきました。
電車のように放送はありませんし。


その時、ふいに亡くなった次男の事を思ったのです。


「あの子だったら、どうするだろう?」


彼は、決してイライラしない子でした。彼が激昂するところなんて見た事ないし、「ムカつく」など言わない子でした。(だからこそ、いろいろな事を胸に秘め自死したのかもしれませんが)


以前の私だったらバス停の連絡先に電話して「全然バス来ないんですけど!どうなってます?」と金切り声をあげていたと思います。


でも、この時に息子だったら「健康のために歩きな。怒っちゃダメだよ」という気がしたのです。


こういう感覚は初めてです。
結局、歩きました。
息子と歩いているような気持ちになりました。


嫌な事があったら「彼ならどうするだろう?」と心を整えてみようと
思えた日でした。

「感情労働と曼陀羅塗り絵」

息子が亡くなっても、生きていかなければならないので、仕事は続けなければなりません。


私の仕事は、看護師なので「命の大切さを伝える」という面もあります。

それなのに、息子が自死してしまいました。

亡くしたつらさに加え、その事が私をより一層苦しめています。


また、仕事柄「感情労働」であるため非常に

仕事をしていてきついのです。

仕事中は、心にストッパーをして何とかしのいでいます。また、若いスタッフに心配させたくないので耐えている面も多々あります。


タイムカードを押して帰宅するときは、

涙ぐんで帰っています。


仕事でも、検査データを貼るとかガーゼをたたむなどの単調な作業は少し救われる気がしています。


無理に気持ちを立て直そうとは思いませんが、「和らげるために何かないだろうか?」と考えついたのがアートセラピーです。


以前、購入してやっていなかった「曼陀羅塗り絵」をやりはじめました。

若干(本当に若干です)少し心が落ち着くような....。


こうして少しずつ一人で歩けるような事を見つけていけたらと思います。


デジタルシャーマンプロジェクトの不愉快さ

先日、朝のテレビで「デジタルシャーマンプロジェクト」という、ロボットの紹介がされていました。


コンセプトは、「突然の死別にあった遺族が、故人と十分お別れをしてもらうために作られたロボット」らしいです。


ペッパー君の顔のところに3Dの故人の顔を貼り付けて、ビデオなどで撮ってある声や、動作を覚えさせて、49日たったら「気持ちの整理がついたと思うので、お別れです。さようなら」と喋りだして49日に、プログラムが終了して動かなくなるという代物です。


心が歪んでいるかもしれないけど、すごく不愉快になりました。


49日で「はい、さようなら。前向きになろうね」ってなります?

しかも、もう一度亡くなるんですよ。


突然の事故や事件、また私のように身内の自死にあった人で、これ使いたいですか?


多分、何年たっても「死」を受け入れられない気がしているのに....。


全ての人の気に入る製品なんて作れるわけないけど、こんな技術は私はいらないです。