まちこの部屋

聖なるあきらめ

比較している

先日、三年ぶりに息子の家族に会いに行きました。

孫が生まれた時以来だから、この3年の間に歩いて、しゃべって、という成長ぶりはすごいなと思いました。

私は、公共の場でのしつけはすごく自分でも厳しかったので、自分の息子達はレストランでも、食べ終わるまでうろちょろされた記憶がないんです。

食い意地が張っていたから、おとなしく食べていたんだと思うけど。

孫は、大してお腹もすいていなかったのかもしれませんが、ポテトを一口食べては投げ、ゴロゴロしては、通路に寝そべる、息子夫婦は「ほら、トーマス見て」とかタブレットを渡す、それをまた投げるなどを見ているうち、心はイライラ💢

「やめなさい、座りなさい」と私が言っても、ヘラヘラ、ニヤニヤしていて、モヤモヤしていました。家も相変わらず汚いし。

マジで、一緒に暮らしていなくてよかった。

息子からは「こういう時、どうだった?」とか何回か聞かれるシーンがあったけど「ん~覚えていないなぁ。もっとおとなしかったかな」と濁して答えたけど、本音は「忘れているだけかもしれないけど私は、こんなだらしなく育てなかったわよ」と言いたかったです。

そして、それにプラス「次男は○○だった。次男は、こういう時もこうだった」と美化する言葉が次々浮かびました。

長男の家庭だし、何一つ手伝ったり、金銭的援助もしていないから、「うるさい母より冷たい母でいいや」と口出しもせず、帰りました。あと、私の心には「偉そうに何か説教しても、次男を死なせてしまったから、教育を語る資格なんてない」という気持ちも湧きます。

でも、これからも何かにつけて、ずっと孫を次男と比較するんだろうな···生きていたら、そうならないかもな···なんて考えて帰宅しました。

高瀬舟ではない

森鴎外の「高瀬舟」という小説は、安楽死を考える時によく出される小説です。

罪人を乗せる高瀬舟で、罪状のあらましが語られるという内容です。

罪人は、兄弟二人で貧乏暮らしをして生きてきました。

が、弟が病に倒れ、更に貧困に見舞われます。兄は、必死に働き懸命に弟の世話をします。ある日、帰宅すると喉に刀を突き刺して血まみれの弟が「死にきれなかったから刀を抜いて殺してほしい」と息も絶え絶えに懇願してきます。兄は断り続けますが、もう助からない事が明白であり、泣く泣く刀を抜いてあげます。抜いた瞬間、近所の人に見られ、弟殺しの罪で裁かれたのです。

鴎外独特の美しい文体で、何度読んでも名作です。

何故、長々と引用したかと言うと、またまた胸がムカムカする事件が起こったからです。

自殺希望の女子大生を、「自殺幇助目的」で殺害したというものです。

SNSで知り合い「自殺を助けた」と主張している事件です。

鴎外の話と比べてみれば、やむにやまれぬ感もないし、本当に自殺幇助だったかすら分かりません。

この私のブログを自殺願望のある人は、見ていないかもしれないけど、でも伝えたいのです。

お願いだからSNSで「死ぬの助けてあげるよ」なんていう人についていかないで下さい。

今日、死にたいほど嫌な世の中であっても明日になったら、少しましな世界に変わっているかもしれません。

死にたいという気持ちは、生きたいと裏腹です。

ろくに知らない人に、命を委ねないで下さい。

今は居場所がない、生きていても仕方ないと思っているかもしれない、でも死ぬ事を手伝う人は偽物です。

また、こういう人が出回らない工夫を政府はしてほしいし、それが自殺予防につながっていきます。それを切に願っています。

キンダーメモリー

3歳になる孫に、誕生日プレゼントを用意しました。

「キンダーメモリー」というカードです。

簡単に言えば「神経衰弱ゲーム」


(画像はお借りしました)

優しいタッチの絵で、芸が細かく、りんご🍎の絵でも、虫がついているのと、普通のりんごとあり、家族でも、子ども同士でも楽しめます。

私の息子達は、これが大好きでした。

次男を亡くしたあと、ショックで記憶力が悪くなりました。

「脳ミソがやられたんじゃないか?」と思う位、いろんな事が思い出せず、また覚えられなくなりました。

ただ先日、この記憶がよみがえって、これをプレゼントしようと思いました。

ブログを始めた4年前に、初めてブログにコメントをよせて下さった方(もう、やめられたのか分かりません😭分からなくなりました)が「息子さんは、死んでいませんよ。生きています。あなたの中の息子さんは死なない」と書いてくれました。

幸せな思い出がよみがえって来て「死んでいないのかもな」と、思った次第です。