まちこの部屋

聖なるあきらめ

レジリエンス(困難にも負けない力)

自死遺族のグループには参加したことがあるけど、グリーフ(自死ではない死別グループ)に今日、初めて参加してきました。

感じたことは、「やはり時間は薬なんだな」ということです。

グループ内の話はしてはいけないので、そう感じたというに留めます。

私の事情を知っている唯一の知人(死別経験者)は、「そんな会行くのやめな。私は、行くとそこにとどまり、具合が悪くなる。元気になるには、違う世界の人(死別してない人)に『こっち来い』とひっぱりあげてもらう方がいいよ。傷の舐めあいになる」と反対しました。

ただ私は心情を吐露する人もいないから、吐き出さないのも精神上よくない気もしていました。

で、出掛けてきました。

少し泣いて、自分の思いを話せたのはよかったと思いました。

と、同時に「自分の人生は自分で、世話しなければならない」とも思いました。

お金を出せばカウンセラーなどに、聞いてもらうことはできますが、最後は自分で悲しみと共に生きるしかないわけです。

体を動かすことから始めようと考え、3月あたりから水泳なんてどうだろうと頭に浮かびました。

レジリエンスを鍛えることからやってみようと思った1日でした。

キサー.ゴータミー

写真は里中満智子さんのブッダからお借りしました。

先日、色々整理していたら切り抜きが出てきました。

ブッダの逸話の一つの話です。


キサー.ゴータミーという女性がいました。

夫婦ともに貧乏で、子どもに食べさせるものがなく、子どもは死んでしまいました。

その後、夫も死にました。

お腹の子どもを出産しましたが、生まれてもお乳が出ず、すぐに死にました。

ゴータミーは、受け入れられずブッダに「この死んだ子どもを生き返らせてほしい」と頼みます。ブッダは、「カラシの種を持ってきたら生き返らせてあげよう。ただし、誰も死んだことのない家からもらってこないといけないよ」と言います。

ゴータミーは、村中を探し回ります。

しかし、カラシの種は譲ってもらえても「去年、家の母が死んでね」「先週、妻が死んでね」「(大金持ちの)旦那様と、大奥様が死んでね」など、豊かでも貧しくても、大人でも子どもでも、誰もが「亡くした人がいる」と理解します。そして、ゴータミーは「悲しいのは自分だけではない」と悟るのです。


何年たっても、この話を思い出すようにします。


節分👹

前回のブログから1ヶ月が過ぎてしまいました。こんな事は初めてです。

実は、私は年明けに大切な人を亡くしました。

というより、とっくに亡くなっていたのですが、非公認の関係でしたから一切連絡が来なかったのです。

彼は、私が十代の頃にお付き合いしていた人でした。

次男が亡くなり、たまたま本当に偶然に私の家の近くに単身赴任してきていました。

私の元夫は、次男のお線香もあげにきてくれません。いまだに一回もです。

そんな中、彼は月命日にお花やお菓子を届けてくれたり、あちこちに連れ出してくれました。私も、感謝と共に愛情をかんじるようになりました。

ただ不適切な関係であるし、厚かましいのですが、彼が単身赴任中だけでも仲良くしてくれたらそれで十分と思っていました。

2021年の4月に彼は、単身赴任を終えました。私は非常識な関係を続けたくなかったので、私からは一切連絡しなかったのですが、彼からは時々近況をしらせるLINEが入りました。そこが弱いのでしょうが、嬉しかった自分もいます。

お互いに違う世界にいても、悲しみや苦しみがあっても元気に生きていこうと思ったのです。ある時期から、ぷっつり連絡が来なくなりました。「それはそれでよし」と思っていましたが、連絡が来なくなったのは突然死だった事を年明けに知りました。

次男の死の時は、失踪して約半年がたっていましたし、悲しみは深かったですが、「よくぞ、戻って来てくれた。帰ってきてくれてありがとう」という気持ちが強かったのです。

今回は、いきなり立っていたところを後ろから蹴りを入れられて倒れた感じです。

今は、食べていかなければならないし、フラフラになりながら、生きています。

これは自死遺族のブログですし、私の行動は非難されて当たり前と理解しています。

不愉快になった方は、読者登録解除して下さい。

もう今後は、この件について記す事はしません。

ただ私は、今ひどく孤独です。

誰にも共有できない悲しみを抱えています。

一度だけ、吐き出させてもらいました。

ごめんなさい。

また、徐々に日々感じた事を記していきます。

またよろしくお願いいたします。