まちこの部屋

聖なるあきらめ

臓器移植について思う事

片付けをしていたら、臓器移植をテーマにしたミステリーが出てきて、懐かしい思い出がよみがえりました。

看護学校の寮にいた頃、友達同士で集まって、お菓子を食べながら度々、色々と雑談をしたものです。

親の話や、恋人の話、就職の話、などなど。

そのなかで臓器移植の話は、真っ二つに意見が分かれました。

私は臓器移植賛成の立場で「自分の大切な人の臓器が、誰かを生かすなんて素敵なこと。私なら、自分のパートナーや子どもが死んだら臓器提供する」と言いました。

でも、中には「死ぬってことは、病気なり事故なんかに遭ったってことでしょう?死んだあとも、何かいじられるのは可哀想」という子もいました。

ずっと賛成の立場は変わりませんでしたが、次男を亡くしてから微妙になりました。

臓器を移植しても、次男が生き続けるという気持ちにならなくなったのです。

次男の体に、次男の魂があって、それが彼を作っている。他の人に差し上げても、生きていく感じを得られない気が最近してきました。臓器提供される人を責めたりする気持ちは、毛頭なく、やはり身近な人が亡くなると考えや感じ方が変わることに、自分で驚いています。

難しく答えの出ない問題を語り合った日々を少し懐かしく思った1日でした。

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