まちこの部屋

聖なるあきらめ

寿命

先日、長男の結婚式がありました。

30人位の披露宴でした。

私はずっと嫌でした。

長男に「お母さんだけテーブル一つはおかしいから、悪いけど大学の友人席に座って」と言われていたのが何か嫌だったのです。

次男が亡くなって以来、嬉しい事が嬉しくなくなり、華々しい場所に行きたくない、ましてや若い人たちと同じテーブルなんて不愉快な気持ちしかありませんでした。


当日お嫁さんは感激して最初から最後まで泣きっぱなしで、長男も涙ぐんでいました。

彼らがいいのなら、それでよし。

「披露宴なんて金かけてやらなくたっていい」というのも、私の「欲」なんでしょう。


鬼門だったテーブルでの食事も、息子の友人が気を遣ってくれて、私も伸び伸び談笑することができました。

その時思ったのが「やはり、次男には生きづらい世の中だったかもしれない」でした。


長男の友人達は非常にフランクで、

私の会話に合わせてくれて、終始笑顔で「お母さん、もっと前に行って写真撮ってくださいよ」とか、つまらない話にもキチンと目を合わせ「うんうん」とうなずいてくれました。

社会人だから、当たり前なんでしょうが。


次男は、異常な位恥ずかしがりで

人と話すのが大の苦手。私とだって目を合わせるのが精一杯でした。

少しアスペルガーの傾向もあり、一度「1日一回、3キロ走る」と決めたら雨でも走りにいく、食事の食べる順もずっと同じ、ファミレスでも常に同じメニューという子でした。

でも、そんな彼の個性も私は理解して大切にしてやりたいと思っていました。だから、無理やり何かを強制しなかったし、尊重していました。


次男は、21歳で亡くなったから大人になった姿は想像しかできませんが、

人付き合いもあまり上手に出来ず、長男の友人達のようには振る舞えなかった気がします。

亡くなったのは、彼の寿命だったのかもしれないな、この厳しい社会を生き抜いていくのは難しかったのかもしれないなと、帰りの電車で考えた1日でした。

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