まちこの部屋

聖なるあきらめ

人を憎むという事

昨日、帰りの電車で高校三年生の男子のグループが受験する大学の話をしていました。

「親は一橋受かったら下宿してもいいって言ってたわ」

「俺は東北大だから、下宿か寮だわ」

「でも、最悪私立でも千葉からは通いきれないからな」

などと話していました。

私はこの手の話が一番嫌なのです。

亡くなった次男は、大学受験の最中に

隣の家に回覧板を出しに行くノリで

元💩夫が無職になったから。

だから、次男に頭を下げて地元の家から通える国立に変えてもらったから。

そして、未だに💩夫は90過ぎの親の年金で

引きこもりを継続しているから。


震災などがあって受験できなかったなら、本人も納得したかもしれない。

そして、そういう中でも頑張った子ども達もいます。

でも、我が家の場合「人災」です。しかも、💩夫は自分が働いている時には

平気で海外に一人旅に行ったり、自分の趣味には糸目をつけなかったのです。

二言目には「家族のために、必死で働いているのに、俺にお金つかうなって言うの?」と言っていました。

また、台風が来るとなると自腹で前の晩からホテルに泊まるなど、意味のない真面目さのある男でした。


「あのお金があったら次男に好きな大学を受けさせてあげたかもしれない」

「そうしたら、おかしな発想にならずに死ななかったかもしれない」

「死んだのは、腹いせ的な意味もあったかもしれない」

「本当に死ぬべきなのは、次男ではなく、あの男だったんだ。そうすれば家のローンだってなくなって今頃はもっと幸せだったかもしれない」

次々に恐ろしくおぞましい考えが浮かびます。


人を憎むというのは、つらいです。

多分、いま💩夫が亡くなったからといってすっきりはしないでしょう。

次男は返ってきませんし。

憎む事は不毛で意味がないです。

でも、時々ふっと苦しくなります。

視野が狭くなってしまうから、やめます。

今後もやめたいです。でも、やっちゃうかもな?人間だもの。

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