まちこの部屋

聖なるあきらめ

教育方針

先日、高校3年生の女の子をもつ友人とおしゃべりしていた時の事です。

私が「娘さんって、電車通学?自転車?」と聞きました。

友人は「私が送り迎えしてんの。職場の通り道だしね」とさらっと答えました。

私は「高校に入ってから、ずっと?」と言ったら、何か変?と言いたげに「うん、何で?」と言っていました。「大変だね」と私は答えましたが、何だかすごく違和感を覚えました。

各ご家庭で色んな考えがあるし、今は物騒だし、女の子だし、一概に意見すべきではないとは思います。

でも、私は多分学校の隣が職場であったとしても送迎はしないなと思います。

急に天気が悪くなった、電車が止まった、危険な目に合いそうになった、そういうことを体験するのも、教育だと思うからです。

親はいつまでも守ってあげられない、だからこそ一人で生きる力をつける練習の場だと思うからです。また「親に秘め事をもつ」のも大切だと思うからです。

私は、二人の息子の大学の入学式にも行きませんでした。それが当たり前だと思っていました。

でも、今は大学の入学式にも親がいっぱいらしいです。

と、ここまで書いてふと「あんたに教育を論じる資格があるのか?」と思う気持ちが頭をもたげます。

「秘め事が多いから、息子は死んだんじゃないの?」とも思います。

私なりのポリシーを持って息子たちを育てました。

一生懸命可愛がって育てました。

正解はないのでしょうが、何がいけなかったんだろうなと再び悲しくなりました。

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