まちこの部屋

聖なるあきらめ

悲しみの中で

次男に自死されてからショックで、大好きだった本がまず読めなくなりました。文章が頭に入らないのです。

新聞記事ですら、読み通せない。

また新聞記事に自殺などの文字や、警察などの単語を見つけるとクラクラしました。

また私には、次男の思い出を聞いてくれたり、話せるパートナーもいないのです。

そんな中リハビリで始めたブログで、多くの方に寄り添っていただき、よちよち歩きの子どものように這いずって生きてきました。

まだまだリハビリ中です。

でも皆さんには、とても感謝しています。ありがとうございます。少し本が読めるようになった頃から「大切な言葉ノート」というのを作りはじめました。新聞や雑誌、ラジオ、テレビなどで「あ、これ私が言いたかった言葉だ」とか「いい言葉だなぁ」と感じたものを貼り付けたり、書きためたものです。

悲しくなると、それを開いて泣きながら生きています。

その中でも特に好きなのは、西田幾多郎という哲学者の人の言葉です。医学が発達した今と違って、昔は病気で我が子を亡くすことが多く、西田幾多郎さんも自分のお子さんを何人か亡くされているそうです。

「折に触れ、物に感じて思い出すのがせめてもの慰藉(いしゃ)である。死者に対しての心づくしである」と言う言葉を悲しくなると、かみしめます。


今、私は悲しい。だけどずっと忘れないからね。生まれてきた時も、今だって伝えたいことは「私のところに来てくれてありがとう」だからね。


と、この言葉を読むと悲しんでいてもいいんだと思えるからです。

不安定な世の中、自死者が出ることがつらくてなりません。

今、ブログを書きながらまた「大切な言葉ノート」を広げています。

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