まちこの部屋

聖なるあきらめ

怨憎会苦

先日、この言葉を知りました。

実は離婚してから、電話の名義をまだ変えておらず、💩夫の荷物もまだあります。

前に「着払いで送っていいですか?」と聞いたら「送られても困る。そっちで処分して」の一点張りでした。

ただ、彼は未だに引きこもりを続けているけれどもいつか働く時になって履歴書を書くときに、必要と思われる書類関係なのです。

私は、そこまでして「引きこもりを続けている人間」が嫌いなのです。

彼からすると、散々ばかにしてきたブルーカラーの仕事につく位なら、働かない方がましなのかもしれません。が、人としてどんな仕事であれ「自分で飯を食う」のは当たり前だと思うのです。

例えはおかしいですが、皆でダンスをしなくちゃならない場所で、時々「こんな事馬鹿馬鹿しくてやってられないよ」という態度で、いいかげんな動きをする人がいます。でも、端からみたら「そういう人の動きの方がみっともない」のです。一生懸命、踊っている人の方が清々しいのです。

だから、💩夫が嫌いというより「今ある場所で咲かない、咲こうとしない人」を見るのが嫌いなのです。

怨憎会苦とは、生きている時に嫌いな人や憎い人とも会わなければならない苦しみだそうです。

私も嫌な事から逃げているな。

次の月命日までに何とかします。

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